その時にはまだ夫も帰宅しておらず、天気も良くて太陽が輝いていたこともあり、家の中もなんだか伸び伸びとした雰囲気に満ち溢れていた。
10月19日(水)だっただろうか。キッチンで食事の支度などをしている私に、娘が話しかけてきた。それは、これからのこと。
「あのさ、ここまできて(ママが)パパについていくって、ないよね」と質問してきた。
「うん。ないよ。だって、付いていったところで、やっぱり価値観のずれは変わらないし、ケンカになる。引越ししたばかりで右も左も分からない街で、いきなり離婚だ、出てけと言われたらと思うと、恐怖も多いし」と、答えた。
「うん。それならいいんだけどさ」
という娘。ただ、夫は娘にとってはやっぱりお父さん。嫌な思い出もあるけれど、良かった思い出もあるのではないか。だから、夫が娘を懐柔しようとした場合には、娘はフラフラと「やっぱり、パパと一緒の生活がいい」となるのではないか。そういう思いが私の中にあり、これまでにも何度か、娘に確認を込めて手変え品変え話をしようとしてきた。そのたびに「もういいって言ってるでしょ!」「この間も言ったけど!」と、怒ったような口調での返事が来るので、正直に言うと、ヤケクソで言っているのか、それとも本当にそういう結論が出ているのか、分かりかねる部分があった。
「何度も聞いて悪いんだけど、娘(以後、Aと記します)は、パパと離れるのは寂しくないの?」
A「ない(キッパリ)」
「もしかしたら、面会権とかで・・・住むところが離れすぎているから2週に一度の週末というのは無理でしょうけれど、例えばお休みの期間の半分はパパと過ごすってなるかも」
A「それは、いやだ」
嫌だと言っても、通常は「2週に一度の週末、そしてVacances Scolaires(学校の休み期間)中は半分半分」になる。週末が無理なら、2か月もの長期休暇となる「夏季休暇」は、さすがに半分半分になるのではないか・・・と思う。そうなると、義両親の家に、夫と行くことになる(夫のバカンス=義両親の家で、義両親とがデフォルト)。
「おじいちゃんおばあちゃんの家に行くってなると思うけど」
A「行かないから」
そして、「私、12歳だし・・・法廷で発言する」と、言ってきかない。子供が「分別のつく年齢」に達している場合は、子供の意思を法的な場所で伝えることができる。その「年齢」は、12歳という人もいれば、13歳だと言っている人もいるので、曖昧だ。とりあえずは弁護士にAの意思を伝えるしかない。
私の率直な気持ちとして、夫だけならともかく、娘の前でも平気で私の悪口を息子(夫)と言いまくる姑がいるところに、娘を送り込みたくない。しかし、裁判で決まった場合には仕方がない。娘といる間の夫の行動を私が決める権利もないので、万一そうなっても享受するしかないと覚悟を決めるしかなかったが、娘の気持ちはそんなに簡単ではないようだ。
ちょっと考え込んでから、なるべくなら転校は避けたい希望がある娘に聞いてみた。「パパと一緒に引越は」
A「行かない」
「じゃ、私に就職が決まったとしたら、Aと一緒に(夫ナシで)フランスのどこかの街に引っ越さなければならない。それはどう思うのか」
A「それは、仕方がない。行く」
「もし、万一私もAのパパと一緒に引っ越す、となったら・・・?」
A「そうなったら、私はここを動かない」
どうやって食べて、住んでいくのと訊こうとした私を遮って
A「12歳だし、有給で私を雇ってくれるところがあるとは思えない。でも何とかする。住まいも、友達に頼み込んで転がり込ませてもらう」
普段はあまり行動的とは言えない娘なのに、と、驚いた。
A「とにかく、もしママがパパについていくのなら、パパのことはもちろん嫌いだけど、ママのことも軽蔑する」と、きっぱり言った。
本当にそこまで、父親を嫌いになってしまったのか、先日の父親の言い分(Aが来てくれない、孤独だ)について聞いてみたら
A「パパは、ゲームをしているばっかりで、全然相手にしてくれなかった。で、今孤独を感じて私やママのせいだとか言っても、自業自得でしょ」と、冷たく言い放っている。
先日、ケンカをした時に夫が「俺は、この家で存在していないように感じる。Aがオレにあいさつしてきたこと、年に何度あった?Aとキミが話している部屋に自分が入っていくと、会話が途切れるし、邪魔者扱いでたえられない」と怒った。
その時には「挨拶と言っても、ヘッドフォンをつけてゲームをしていることが多いから、Aが話しかけるのを遠慮していたと思う(実際、怒鳴られたことがある)。あと、Aと私があまりうるさくしていると、貴方はテレビの音が聞こえない等、切れて怒った。だから、仕事で疲れているだろうと思う部分もあって、なるべく静かにしなさい、とAに言ってきた。それが原因だとしたら、私のせいになるでしょうけれど、ただ、のけものにしようとしてそうしたわけではない」と、説明した。
その後で、私は自責の念におそわれていたのだ。
挨拶をしなさい、と、言うべきだった
うるさがられても、夫を交えるべきだった
娘と夫をもっと交流させるべきだった
・・・
娘と夫を切り離してしまったのは私ではないのか。
ただ。
時間がたって冷静になるにつけ、私に対して意地悪な発言などが多々あった夫のことを思い出した。冷戦状態の時に「無視しなさい」などと言うわけはないけれど「パパにあいさつしてきなさい」と言える気持ちにならなかったのは事実だ。ただ、娘が言わないなら、夫から話しかけたってよかったのではないか。娘が帰宅時に、ゲームをしていた夫に話しかけていた声も、何度か聞いている。
自分では努力せず、そして娘から話しかけられた事実も完全に忘れて、自分だけが被害者のように言う。
これを書いている今でさえ、書き始める前には「私が悪かった」と思っていた。夫は、夫こそが被害者で、責任はすべて他人だ、と思わせるのが本当にうまい。
後日書きますが、「夫とゲーム」については、かなり昔から私たち夫婦の確執の種となっていたこと。夫がゲームにのめりこみすぎない方が、本来はうまくいくと信じていたので、フランスに来てからもいろいろ試した、が、ダメだった。
だから、夫の望むとおり「余暇位は」「好きに」ゲームをやっていただき、私は娘の相手をする。それで家族がまわるのなら、という気持ちでそういう環境を提供してきたのだ。それは、本当は家族で出かけたかったり、休日はもっと家族として過ごしたいと思っていた私にとって決して本意でなかったとしても。
それでも、ケンカの時に「俺は孤独だ」と言われた時に、自責の念に駆られた。
ケンカをし、その数日後、夫から離婚&引っ越し予定であることを聞かされついでに「孤独である」気持ちもぶつけられた時に、娘にそのことを言ってみた。
娘は「これからもっと交流するようにするから、せめて、中学を卒業するまであと3年間、引越しなどせずここにいてもらうようにお願いしたらどうなるかな。我慢してくれるかな」と言っていた。「言わずに後悔するよりも、もし本当に伝えたければ、結果はどうあれ言うべきだと思うよ」と助言したが、結局言わずじまいに終わった(言っても無駄だと思ったらしいし、夫はとにかく今の仕事を辞めたいのが一番の目標なのであるから、「ここにとどまって」の部分が無理であると、私も思う)。
その後も、Aは、「自分が悪かったのかもしれない」と折りにつけ考え続けていたようだ。
しかし、
「私だって、パパに遊んでほしくてお願いしたり、パパのところに行ったりしたよ。でも、殆ど毎回、断られたり怒られたりケンカになって終わったりした。今更そんなこと言われたって、もう遅いよ!」と、怒っていた。
娘は「もう、パパとは終わりでいい。その後は、パパとは会わない」で、一貫している。私の気持ちを慮ってそう言っている可能性が捨てきれないのだけれど、本人はサバサバして、すでに父親と自分を切り離しているように思う。
それとも、時間が経ってから、もうすこし父親と話をしておけばよかった等、後悔するのだろうか。
今でも分からず、自分自身との問題と絡めて、この気持ちに今の私は苦しんでいる。
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