dimanche 30 octobre 2016

娘と話した。

少し時間をさかのぼって、10月20日(木)から2週間、娘の秋休み期間に入った。

その時にはまだ夫も帰宅しておらず、天気も良くて太陽が輝いていたこともあり、家の中もなんだか伸び伸びとした雰囲気に満ち溢れていた。

10月19日(水)だっただろうか。キッチンで食事の支度などをしている私に、娘が話しかけてきた。それは、これからのこと。

「あのさ、ここまできて(ママが)パパについていくって、ないよね」と質問してきた。

「うん。ないよ。だって、付いていったところで、やっぱり価値観のずれは変わらないし、ケンカになる。引越ししたばかりで右も左も分からない街で、いきなり離婚だ、出てけと言われたらと思うと、恐怖も多いし」と、答えた。

「うん。それならいいんだけどさ」

という娘。ただ、夫は娘にとってはやっぱりお父さん。嫌な思い出もあるけれど、良かった思い出もあるのではないか。だから、夫が娘を懐柔しようとした場合には、娘はフラフラと「やっぱり、パパと一緒の生活がいい」となるのではないか。そういう思いが私の中にあり、これまでにも何度か、娘に確認を込めて手変え品変え話をしようとしてきた。そのたびに「もういいって言ってるでしょ!」「この間も言ったけど!」と、怒ったような口調での返事が来るので、正直に言うと、ヤケクソで言っているのか、それとも本当にそういう結論が出ているのか、分かりかねる部分があった。

「何度も聞いて悪いんだけど、娘(以後、Aと記します)は、パパと離れるのは寂しくないの?」

A「ない(キッパリ)」

「もしかしたら、面会権とかで・・・住むところが離れすぎているから2週に一度の週末というのは無理でしょうけれど、例えばお休みの期間の半分はパパと過ごすってなるかも」

A「それは、いやだ」

嫌だと言っても、通常は「2週に一度の週末、そしてVacances Scolaires(学校の休み期間)中は半分半分」になる。週末が無理なら、2か月もの長期休暇となる「夏季休暇」は、さすがに半分半分になるのではないか・・・と思う。そうなると、義両親の家に、夫と行くことになる(夫のバカンス=義両親の家で、義両親とがデフォルト)。

「おじいちゃんおばあちゃんの家に行くってなると思うけど」

A「行かないから」

そして、「私、12歳だし・・・法廷で発言する」と、言ってきかない。子供が「分別のつく年齢」に達している場合は、子供の意思を法的な場所で伝えることができる。その「年齢」は、12歳という人もいれば、13歳だと言っている人もいるので、曖昧だ。とりあえずは弁護士にAの意思を伝えるしかない。

私の率直な気持ちとして、夫だけならともかく、娘の前でも平気で私の悪口を息子(夫)と言いまくる姑がいるところに、娘を送り込みたくない。しかし、裁判で決まった場合には仕方がない。娘といる間の夫の行動を私が決める権利もないので、万一そうなっても享受するしかないと覚悟を決めるしかなかったが、娘の気持ちはそんなに簡単ではないようだ。

ちょっと考え込んでから、なるべくなら転校は避けたい希望がある娘に聞いてみた。「パパと一緒に引越は」

A「行かない」

「じゃ、私に就職が決まったとしたら、Aと一緒に(夫ナシで)フランスのどこかの街に引っ越さなければならない。それはどう思うのか」

A「それは、仕方がない。行く」

「もし、万一私もAのパパと一緒に引っ越す、となったら・・・?」

A「そうなったら、私はここを動かない」

どうやって食べて、住んでいくのと訊こうとした私を遮って

A「12歳だし、有給で私を雇ってくれるところがあるとは思えない。でも何とかする。住まいも、友達に頼み込んで転がり込ませてもらう」

普段はあまり行動的とは言えない娘なのに、と、驚いた。

A「とにかく、もしママがパパについていくのなら、パパのことはもちろん嫌いだけど、ママのことも軽蔑する」と、きっぱり言った。

本当にそこまで、父親を嫌いになってしまったのか、先日の父親の言い分(Aが来てくれない、孤独だ)について聞いてみたら

A「パパは、ゲームをしているばっかりで、全然相手にしてくれなかった。で、今孤独を感じて私やママのせいだとか言っても、自業自得でしょ」と、冷たく言い放っている。

先日、ケンカをした時に夫が「俺は、この家で存在していないように感じる。Aがオレにあいさつしてきたこと、年に何度あった?Aとキミが話している部屋に自分が入っていくと、会話が途切れるし、邪魔者扱いでたえられない」と怒った。

その時には「挨拶と言っても、ヘッドフォンをつけてゲームをしていることが多いから、Aが話しかけるのを遠慮していたと思う(実際、怒鳴られたことがある)。あと、Aと私があまりうるさくしていると、貴方はテレビの音が聞こえない等、切れて怒った。だから、仕事で疲れているだろうと思う部分もあって、なるべく静かにしなさい、とAに言ってきた。それが原因だとしたら、私のせいになるでしょうけれど、ただ、のけものにしようとしてそうしたわけではない」と、説明した。 

その後で、私は自責の念におそわれていたのだ。

挨拶をしなさい、と、言うべきだった
うるさがられても、夫を交えるべきだった
娘と夫をもっと交流させるべきだった

・・・
娘と夫を切り離してしまったのは私ではないのか。

ただ。

時間がたって冷静になるにつけ、私に対して意地悪な発言などが多々あった夫のことを思い出した。冷戦状態の時に「無視しなさい」などと言うわけはないけれど「パパにあいさつしてきなさい」と言える気持ちにならなかったのは事実だ。ただ、娘が言わないなら、夫から話しかけたってよかったのではないか。娘が帰宅時に、ゲームをしていた夫に話しかけていた声も、何度か聞いている。

自分では努力せず、そして娘から話しかけられた事実も完全に忘れて、自分だけが被害者のように言う。

これを書いている今でさえ、書き始める前には「私が悪かった」と思っていた。夫は、夫こそが被害者で、責任はすべて他人だ、と思わせるのが本当にうまい。

後日書きますが、「夫とゲーム」については、かなり昔から私たち夫婦の確執の種となっていたこと。夫がゲームにのめりこみすぎない方が、本来はうまくいくと信じていたので、フランスに来てからもいろいろ試した、が、ダメだった。

だから、夫の望むとおり「余暇位は」「好きに」ゲームをやっていただき、私は娘の相手をする。それで家族がまわるのなら、という気持ちでそういう環境を提供してきたのだ。それは、本当は家族で出かけたかったり、休日はもっと家族として過ごしたいと思っていた私にとって決して本意でなかったとしても。

それでも、ケンカの時に「俺は孤独だ」と言われた時に、自責の念に駆られた。

ケンカをし、その数日後、夫から離婚&引っ越し予定であることを聞かされついでに「孤独である」気持ちもぶつけられた時に、娘にそのことを言ってみた。

娘は「これからもっと交流するようにするから、せめて、中学を卒業するまであと3年間、引越しなどせずここにいてもらうようにお願いしたらどうなるかな。我慢してくれるかな」と言っていた。「言わずに後悔するよりも、もし本当に伝えたければ、結果はどうあれ言うべきだと思うよ」と助言したが、結局言わずじまいに終わった(言っても無駄だと思ったらしいし、夫はとにかく今の仕事を辞めたいのが一番の目標なのであるから、「ここにとどまって」の部分が無理であると、私も思う)。

その後も、Aは、「自分が悪かったのかもしれない」と折りにつけ考え続けていたようだ。

しかし、

「私だって、パパに遊んでほしくてお願いしたり、パパのところに行ったりしたよ。でも、殆ど毎回、断られたり怒られたりケンカになって終わったりした。今更そんなこと言われたって、もう遅いよ!」と、怒っていた。

娘は「もう、パパとは終わりでいい。その後は、パパとは会わない」で、一貫している。私の気持ちを慮ってそう言っている可能性が捨てきれないのだけれど、本人はサバサバして、すでに父親と自分を切り離しているように思う。

それとも、時間が経ってから、もうすこし父親と話をしておけばよかった等、後悔するのだろうか。

今でも分からず、自分自身との問題と絡めて、この気持ちに今の私は苦しんでいる。

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なんだか暗すぎますね!もっと明るくいきたいです。
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samedi 29 octobre 2016

夫と。立ち話でこれからのことを話した

夫が帰宅してからというもの、

どう話し合おうか・・・

わたしから切り出して、相手が怒ったら・・・

これからのことはどうなるのか・・・

等々、考えると、ビビりが発動して動きが取れない状態だった。

ところが、それは至ってカジュアルに、そして私にとって軽い形で決着がついた。

今週の水曜日、10月26日。夫が「車検に行ってくるから車のキーと車検証をくれ」と言ってきた。その時も普通の雰囲気だったのでとりあえず安心していた。

1時間後くらいに帰宅した夫が、車検の結果、そしてなおしておいた方が良い箇所について説明してくれた。次回の車検は2年後。言葉の端々から、次回には夫とは離れ離れであることが実感できるニュアンスがあった。

その後、粗大ごみを出しに行くという夫。ゴミ出しは、夫の不在中に殆ど済ませていたが、ここで動かなければまたケンカになる。既に大方は済ませたこと、夫の物と思われるものだけ残しておいたこと、そして夫の衣類や食器などを別に詰めておいた箱を渡したりした。

夫は「俺は、3週間後にここを引っ越すことになる。その前にゴミの搬出、この家の掃除などは済ませておきたい。その後になると、もう時間がなくてやれなくなってしまう可能性が高い」と言う。

ちょうどいい機会なので、この家はいつまでいられるのかと訊いてみた。

「退去の連絡は退去日の3か月前までになる(3か月前通告)」というので、「じゃ、とりあえず1月末までは大丈夫なのね」と、ホッとした。12月末まで、もしくはそれより前に引っ越す必要があるかもと思っていた。

「そうじゃなくて」と続ける夫

「(退去連絡は)しない」という。「まず、仕事を見つけてくれ」と。

「とりあえず、この家はこのまま住めるようにしておく。家賃、光熱費、(私の車の)車両保険は自分が払う。そして、食費も振り込む」

「ただ、食費を振り込むと言ってもそう多くの額を振り込めるわけではない。こちらでも購入しなければいけない物もあるし。だから、食費以外で必要なものは、自分のお金で何とかしてくれ」

「あと、これ永遠に続けられるわけではないから・・・」

と言う。

「そして、仕事が無事決まった時には、・・・離婚でもなんでも・・・好きなようにしたらいい」

「その後は、きみはひとり親手当をもらえるだろうし、あとは自分も食費手当(日本でいう、養育費のようなもの)を払うから」


・・・


思いがけない言葉に、本当にびっくりした。離婚を言い出したのは夫だけれど、その後「一緒に来てくれ」と、離婚を翻意した夫の申し出を断ったのは私だし、キレられるかもしれないと思っていた。

キレた夫が、子供の養育権、私が無職であること、(私の)住まいがなくなるかもしれないことを盾に、脅してくるかもしれないとも思っていた。

それが、今のところは私にとっては最高の申し出となっている。それに、これだけの内容がすべて立ち話だったのは、なんだかちょっと面白い(面白がっている場合ではないのだが)。離婚とか別居、重くしてしまうのも、軽くスタートをきるのも、この状況ならば自分の心次第なのかもしれない。

正直、ここの家にしばらく住めるのなら・・・

・公営住宅、ここの街で空きが出るまで待つことができる(あわててよその街に引越しなくてよいし、民間のアパートでの物件も併せて待つことができる)

・フリーランスでやろうとしていることを進めてしまえるし、最初から自活できるかもしれない

・もちろん、この間に良い仕事とのご縁(フルタイム正社員職)があれば、より安心して再スタートがきれる。

と、安心な材料が揃っている。

半月後にでも退去しなければいけないかもしれないと思っていた時には

・この街での公営住宅の空きがなければ、よその街に引越、娘も転校せざるをえない(精神不安定気味なので、転校は避けたいが、やむを得ないなら仕方ない)

・とりあえず、政府からもらえる補助に頼って生活(プライドがとかいうより、このような手当というのは、いつ打ち切りになるかわからないし、不安が多い)

・この手当の手続きのため、個人事業主の仕事をスタートさせられない(少しでも収入があると、手当の申請審査は4か月くらいかかり、さらにすぐに承認されないかもしれないと言われている)

と、不安材料ばかりだった。そのため、ここにしばらく身を置けるのなら本当に安心できる。

ただ。

夫は気が変わりやすい。今はそのように言ってくれても、半月後や、実際に必要経費を支払、食費振込するにつけ「打ち切り」と言ってくる可能性は十二分にある。

これから一人で娘を養っていかなければいかない身としては、なるべく転ぶ可能性が少ない方向に舵を切っていきたい。

ただ、考えなければならないことがたくさんありすぎ、そして転ぶ可能性を減らしたい計算高いところ、あとは私の心の弱さも手伝い、どうしたらいいのかが見えなくなってしまっている。


注・この内容も、読み返すとさらに心が揺れてしまいますので、読み返さずそのまま投稿します。誤字脱字、分かりにくい点がありましたらご容赦ください。。。

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vendredi 28 octobre 2016

一年ぶりに会ったソシアルアシスタント、チクチク嫌味付

10月25日(火曜日)には、去年から私の話を聞いてくれているソシアル・アシスタントのMadame R との面談に行ってきた。

今年の離婚話が持ち上がってすぐに予約を取ろうとしたが、病気で休みとのこと。10月の初旬には復帰するとのことで予約を取ったが、結局その病欠が長引き、代打のソシアル・アシスタントと10月14日に面談。

そして、やっと25日にはMadame R本人と面談することになったのだ。

久しぶりのMadame R。

去年、夫から離婚を言い渡されてから、ソシアル・アシスタントの存在を知り面談した。その時は、これからの生活や必要な手続きについて、今以上に何の知識もなかった。

ソシアル・アシスタントと話しながら、Pole Emploi(日本でいうハローワークのようなところ)に行ったり、無料の法律相談に行ったり、就職カウンセラーのところに行ったりとしていた。

昨年は9月中旬に離婚を言い渡された記憶がある。今年は9月下旬だったので、毎年秋恒例!離婚祭り!!の様相があるが、そこはなんとなくご指摘いただかなければありがたい。

その時、就職先が見つかるまで待つ、と、最初は言っていた夫だったけれど、そのうち離婚が何となくうやむやになり、そして今年の春ごろからは「老後はこうしたい」といった言葉が夫の口から出るようになっていた。私の中では、それでも黄信号が常に灯っている生活だったけれど、もし、このまま続けられるのなら・・・。と願った。

ソシアル・アシスタントのところに相談に行く用件もなくなり、2月頃にいきなり彼女の都合により予約がキャンセルされてから、ずっと音信不通の状態になっていたのだ。

そして今回の面談。

「あれからどうなった」
「前回も言ったけど」
「(私のこと)忘れてしまったろうけど」

等、会話のそこここにチクチク~な嫌味のスパイスがたっぷりだった(泣)

Madame Rは、基本的にはとてもいい人(肝っ玉母ちゃん系)。そうなだけに、いきなり来なくなってしまった私のことは「どうしたのだろう」と思っていただろう。それが転じて嫌味になってしまうのも分かるが、何度もやられるとさすがにきつかった(汗)

ただ、人柄は昨年と変わっておらず、やっぱり感情移入してくれる人だ。

「そんなね、愛してるって言葉と脅迫(離婚)じみた言葉が交互になんてね(ありえない)」などなど、本来は「困っている人に、補助金および手続きの案内をする」という彼女の仕事の大前提から外れたところで、やっぱり時々本音が出てしまっていた。

職業柄、色々癖のある話を聞いてきたからか、夫の性質等はすぐに見透かしていた。去年も「もうヨシ(離婚)にしなさい!!」という雰囲気だった。

先日申請した公営住宅、そしてこれから申請しなければならないものはすべて「法的な手続きを経た別居、もしくは離婚」が大前提となるため、まずは「弁護士のところに行って、離婚の手続きをすること」が先決だと言われた。

住まいがなくなるかもと焦る気持ちはわかるけれど、順番が違っちゃっているよとの指摘だった。

国からの手当てについて訊いたところ、やっぱりすごく親切に答えてくれた。普通ならそれは言わない方が・・・というところまで、アドバイスをくれた。

本当は最初からそんなもののお世話にならないのが理想だ。けれど、万一のことがあるので、知っておけば安心だ。

しかし、今日頂いたアドバイスのせい?おかげ?で、やや「どうしよう」という迷いにつながってしまっている。この迷いは、10月26日(水)に夫と話したことで、更にぐしゃぐしゃになってしまう。

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mardi 25 octobre 2016

銀行のとても親切な担当者、離婚について講義その2(今年)

この記事からの続きです。

娘の養育権については、「離れ離れになって暮らすのなら、旦那さんからの食費手当は減額で、父子の面会権が少ない、そのような対応になるのかしらねえ」と、言っていた。彼女は離婚歴はあるようだが、子供がいての離婚ではなかったらしいので、子供をめぐってのあたりは不案内なようだ。

ただ、娘は父親にはもう会いたくないようなんですよ・・・と言っていたら、「娘さんの年齢はいくつですか」と訊くので、12歳だと答えたところ「私は弁護士とか法律の専門家ではないから、下手なことは言えないけれど」と前置きしながら

「子供が4歳5歳とかの幼さならば、養育権についても両親の間で決めることになるけれど、12歳なら・・・弁護士に全部言って相談したら・・・うん、相談するのがいいですよ」

「弁護士さんは、基本的に貴女の味方ですから、貴女にとって悪くなるような話には持っていきませんよ。できるだけあなたの希望にそった離婚になるように、尽力してくれるはず。だから、弁護士にはとにかく相談するといいですよ」と続けた。

弁護士というと、なんとなく腰が引けてしまうのだけれど・・・確かに、依頼者のことをいちいち攻撃していたら商売になるはずがない。法律上無理なことはそう伝えてくれるだろうが、そうでなければ大きな味方になってくれるはず。

思い返してみれば、確かに、去年無料の法律相談に行ってみた時に、私の話を聞いてくれた女性弁護士は基本的に私の立場で物を言ってくれた。相談を終えてから、とても心強くなったことを思い出した。

それなのに、なぜ、また今年このようにビビりとなってしまったのだろう。。。

そう思っていたら、PCのスクリーンを見ていたKさんが

「共同口座の方なんですけれど」と、いきなり銀行的な話題を出し「もし、別居や離婚になったラすぐに!!!共同口座は解約すべきですよ」と言った。

「残高がマイナスだったりした場合、お二人に返済の義務が発生するんですね。どちらが遣っただとかは銀行では一切関与しませんから、これは本当に気を付けた方がいいですよ」と言う。

しかし、去年、弁護士さんに相談した時には「その共同口座は絶対に!!!!解約しないでくださいね!!!!!!」と、念を押された。私自身も、解約にはいい気持ちがしていなかったので、これには同意だけで共同口座はそのままとなっている。

銀行側での言い分も、すごくよくわかる。「万一、貴女の夫がマイナス残高を作った場合でも、貴女にも責任が発生するから、ぜひ回避して」とのことなのだ。しかし、この共同口座に給料が振り込まれるので、解約してしまったら生活費は保障されなくなってしまうのではないか。

中々、頭が痛い問題だ。。。

とにかく、いつかは弁護士に相談しなければならない。その時に、口座の件は銀行で言われたことも伝え、どうしたらいいのかと相談することにしよう。。。

最後に、娘の名義の口座の件でも話をした。夫が、現在もっている口座を解約した後は、娘名義の口座には手を付けることはできない。

ただ。

もしも、その前にお金を引き出ししたりした場合には、銀行では止める権限がないので、どうしようもない、とのことだった。「まあ、そこまではきっとしないと思いますが」と言うが・・・。

私がそのお金を「個人的に」欲しいのではなく、娘の大学進学の際の学費にと思っている。だから、それを夫が使い込みしたり、また夫の許可なく引き出しができない形にされたら(現在の口座を勝手に解約したうえ、ほかの銀行で口座を開く等)、困る。

これについても、弁護士さんに聞かなければ。

親切なKさんが、私のために約1時間半もの時間を割いて、色々と相談に乗ってくれたのでまた知識が増えた。

あまりに、無駄に時間ばかり取っていただいたので申し訳なくなり「そういえば、個人事業主として収入を得る道を模索しているんです」と言いながら計画を話したら、Kさんの目が一気に目が輝いた。

「いいじゃないですか!離婚を待たずに、すぐにスタートさせてもよさそうですね!」と言っている。その際には、別に口座を作らなければならないので、また来ますと言うと、「銀行として助けられることは色々いたしますから、ぜひ!」と言い、笑顔で別れを告げた。

こうなってみると、他人からもらえる気持ちややさしさが、とても胸に沁みる。
いつか、私も誰かにお返しができるように・・・

今日も何かを進めることができたらいいな。

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dimanche 23 octobre 2016

動揺しながらも、ちょっと前進したような気持ち

昨日10月23日は、夫が帰宅。

そうでなくても、目星をつけておいた公営住宅に空きがなくなってしまったことに、なんとなくの不安感なのに、夫の帰宅により、離婚の話しあいが現実味をおびたため、いろいろな不安が噴出してしまった形だ。前日の22日から気持ちがかなりダウンし、夫が帰宅した23日の午前中などは、最悪に。

夫はその後、ゲームをしたり(前回の話しあい時、「俺が悪かった・・・ゲームをやりすぎていた。今後はゲームをする時間は減らす」とか言っていなかったか?と、脳内でつっこみ)、TVを視たりしていた。話しかけてこなかったのでとりあえずは安心したけれど、離婚の意思確認は避けられないし、離婚になった場合の財産分与についても話し合わなければならない。

ああ・・・延期したって仕方ない。いつかはやらなければならない。

娘は「たぶん、私たちは(引っ越し先に)一緒に来ないと分かっているんじゃないかな。顔が怒ってたし、なんかそういう顔だった」と言っていた。

夫が「あいつは付いてくるだろう」と、根拠のない確信に満ち満ちていなければ第一段階(?)は突破なので、そこは安心した。娘は今、秋休み中で11月3日まで学校は休み。本来なら娘がいない時に話すべきだが、月をまたいでからでは、住まい探しに際しての書類などの準備に差しさわりがでることになりかねない。休み期間中、なるべく早いうちに少なくとも「家の退去日」については話し合おうと思っている。

午後からは、なんとなく気を取り直して仕事にしたいと思っている計画の内の一つに着手した。仕事にしたいことはすべて、受注して成立するような形式。無料でできることならこれこそ早めに行動しておいた方がいい。

5年ほど前に登録だけしておいて、その存在を忘れていたサイトがある。先日、その職種について、プロでやっているフランス人の友人にいろいろと訊いてみたところ、「そういうサイトがあるよ」と教えてくれた。なんとなく聞き覚えがあるなと思ったら、やはり登録だけしてあとは放置!しておいたサイトだった。

プロフィール欄をしっかり完成させ、そして履歴書もアップロードした。ある募集に応募しようと思ったが、なんと、応募するのにお金がかかる・・・ため、とりあえずはやめておいた。

そのほかにもその職種でもっと活躍できるための講座だとかを調べていたら、あっという間に夕方になっていた。やや明るい気持ちになってきたので、体は動いていないけれど行動してよかったなと思えた。

住まいの方は焦っても仕方がない。火曜日にソシアル・アシスタントと面談する予定になっているので、その時にほかの申請書類を確認してもらいつつ、色々疑問に思っていることを質問しようと思っている。

公営住宅の方は、今やらなければいけないことはやった。よく分からないが、登録が完了していれば、公社の方から「空き物件の案内」が、いつか来るようだ。私などは、公営住宅は一般の不動産業者と同じと思っていたので、物件を見ては「ここに空きがあれば、ぜひ入居したい」だとか、訳の分からない連絡をしてしまっているが(汗)・・・別に良いだろう。

一週間で進んだことをまとめてみると
・公営住宅に申し込み。登録番号までいただいた。
・今住んでいる町の公営住宅の公社に、入居意思を伝えた(ただのテンパりの結果だが)
・ほかの公社にも、問い合わせを進めた
・銀行に行き、話をし、手当等取得のための必要書類もいただいた
・仕事にしたいことの内の1つにつき、履歴書見直し及びサイトへの登録を完了させたりと少し前進させた。
・情報収集
・不要品の処分。あらかた片付いた♪

こうしてまとめると、すべてまんべんなく少しずつ、ではあるが色々進んでいるではないか。娘が休みなのでちょっとスローダウン気味ではあるが、特に住まい探しは、今じたばたしても、空回りになるだけ。

焦らず、なるべく落ち着いた気持ちで、今週も少しでも進めるところは進むようにしていこう。

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気持ちの高低が激しい

今の状況はやっぱり、基本的には不安な要素ばかり。

これからの住まい、今後の仕事にしようと計画していること、そして離婚の手続き・・・。何もかも、決まっていない。

その割には、元気に生活しているなあと自分でも思う。

しかし・・・

本日(10月23日)、夫が帰宅する。

昨日の午後位から、気持ちが沈んで嫌で嫌で仕方がない。気持ちだけならまだしも、昨日の夕方には倦怠感がMaxだった。それでも食事の支度をしなければならない等あるので、頑張って動いた。

動くと、なぜか気持ちもまた前に向く。

そうして体を疲れさせて、アパートもしくは公営住宅探しの情報を集めようとPCに向かうと、途端に「夫が帰宅する」事実が押し寄せ、奈落の底にたたきつけられたような気持ちになる。

そんな気持ちのまま、公営住宅の情報を見ていたところ、日中、ここならいいなあと思った公営住宅の住宅公社のサイトについて「物件がありますよと掲載してはいるけれど『賃貸可能』の状態ではないかもしれない」といったことにも気づき、取り急ぎ問い合わせのメールをすることにした。

そのメールを送信し終えたのは、やっぱり真夜中。

まずは、住まいのめどがたっていなければ不安で仕方がない。まあ・・・

実際に動き始めてから1週間と数日間だけなので、そんなにスラスラと進むわけはない。

よく考えればそのわずかな期間で様々な書類をスキャンしたりコピーしたりして揃え、公営住宅応募への書類申請をし、承認してもらい、また、少しずつであるけれど確実に情報も増えていっていると思う。やれることはやっているし、焦ったって仕方ないのに、時間だけが無暗に流れて行ってしまっているような感じがして、時々いてもたってもいられなくなる。

夫が帰ってくること、そして収集した情報の中には、悲観的にならざるしかないものもあり、そのため精神不安定になっていることは、頭では分かっている。

基本的にはタフだと思うので、長くて数日(2~3日)、短ければアッサリと明日にでも復活していそうですが(苦笑)この精神状態は、なかなかきついものがあります。

あ・・・夫が帰ってきました・・・

どうなるのだろう。怖い。。。

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samedi 22 octobre 2016

銀行のとても親切な担当者、離婚について講義その1(今年)

昨年、「離婚」を言い渡され、半分パニック気味の私の話を丁寧に聞き、良い方向に計らってくれた、銀行の担当女性と今年も会うことに。

「その後、どうですか」と訊くので

「去年も、離婚と言われて・・・とお話したのを覚えているかもしれませんが、その後、夫の気が変わり、とりあえずは平穏に暮らしていたんです」と、かいつまんで話し、「そしたら、約1か月前になりますが、ちょっとした口論をし、その2~3日後には離婚だとまた言い渡されました」

担当女性(以下、Kさんと記します)の目が丸くなった。

「で、もう今回は私も離婚でいいなと思ったのですが」

そうよねそうよね!と言うようにうなずく彼女に

「夫は転職でここから遠いところに引っ越すことになったのですが、離婚についてまた気が変わったか、一緒においでと言っています」と言うと、やっぱり一瞬あきれ果てた顔になっていた。

この女性担当者、30代くらいだと思うが、私が微に入り細に入り言わなくても状況を理解してくれ

「全然知らない土地に行って、また何もわからなくなってからそう(離婚と)言われたら、困りますよね。また言い出しそうです…よね?」と言うので

「きっと言いますね」と答えた。

「それで、貴女はもう疲れたと」

「その通りです」と言いつつ

「実は、離婚を言い渡されたのは少なくとも今回が4回目。そして毎回夫の気が変わってうやむやに終了しているんです。フランスの女性なら・・・とっくに離婚していますよね」と、やや自虐気味に言うと、言っていいものか、と少し思案顔をしたが

「うん。それはホント、保証します」と、苦笑しながら答えていた。やっぱりねえ。そうだと思うよ。

「なんというか・・・貴女はすご~く大きなハートの持ち主ねっ」と、フォローしてくれたのがさらに痛かった

夫の気が今回もまた変わっていて、それでも私が離婚したいのなら、私から離婚するしかないね、という話になった。そうなんですよ。でも、夫を刺激してゴタゴタしたくないので、まだ弁護士には相談していないんですね、などと言っていたら

「個人的に経験してきてるから、そのお話だけど」と言い

「まず最初に、落ち着いて、旦那さんにこれからどうしたいのか、離婚でよいかと訊いてみるのが一番。旦那さんも離婚で同意するのなら、お話は早い。離婚に向けて話し合いを進めるだけ。離婚は嫌だと言われたら、貴女の方から離婚をしたいので、弁護士に相談します、と、冷静に言っておけばいいと思う」

「夫婦同意で離婚できる場合には、貴女の名前で一人の弁護士にお願いして、進めていくだけ。弁護士の方で離婚についてまとめ、裁判所に持っていき、そして最終的に裁判所から召喚が来る。その時には、判事が離婚する意思を双方に確認して、晴れて終了!」

「同意でない場合には、結構痛い目に遭う。夫婦それぞれ弁護士を立て、言い争う形になる。離婚でまとまらなかった場合には、別居の事実を2年作り、2年たったらすぐに弁護士に連絡、再度離婚の係争が始まるが、それで離婚が認められる。この場合、長くて4年くらいかかると思う」「それに、お金もかかるし」と言う。

私は過去6か月無収入であるので、現在は弁護料は無料となるはず。その後の4年間も無職でいようとはサラサラ思わないが、万一無職だったと仮定しても、おそらく、弁護料の補助の規制があり、それを上回ることになるため、最終的には有料となってしまうようだ。

4年って・・・

オリンピックじゃないんだから、と、こんな状況でも内心つっこんだ。

とにかく、お互い同意に持ち込めるように、うまく話すことが大切であるとしみじみ思った。しかし、夫は「離婚」をチラつかせ、私が焦ったり、話し合いをしようとしたり、もがいたりするのを見てストレス発散していた節がある。つまり、ただの脅しである。

それでも言われた方としては脅しなのか本気なのか分からない。私は他人から言われたことはほぼ「本気」であると、理解する。冗談だってもちろん解るが「離婚」など、適当に言うことではないと、未だに思う。

そのため、私が本気で離婚準備を進めると、手遅れにならないうちに「離婚はナシ」という形に、うまく持って行ったのだ。

今回は、私が比較的早い段階で離婚を承諾し、サッサと準備を進めているようなので、焦ったらしい。変心も、以前よりかなり早い段階であった。しかし、もう付き合いきれないので、今回は離婚すると決心した。

こんな夫は、要りませんというのが、今の私の気持ちだ。

夫だって、心の奥底では離婚したいと思っているのだ。以前夫は言っていた「仕事が嫌になったら辞めてサッサと他所の土地にうつり、お金もぜーんぶ自分の自由に、がいいから」 この、夫の独身に戻りたい願望は、事実であり、常に彼の心の中にあるとみている。

ただ、気がかりは離婚となった場合に夫がどうでるか。娘のこと・・・お金のこと・・・(お金もぜーんぶ自分の自由に、に、ならなくなる)

そんな私に、銀行の担当女性は、更に話を続けてくれた(続きは、明日書きます)

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vendredi 21 octobre 2016

銀行の、とても親切な女性担当者(去年)

今日(10月20日)は、銀行に行ってきた。

ちょうど昨年開始した「定期預金」口座と、あとは娘の口座の件。

約1時間くらい話をした中、口座について話し合ったのは15分くらい。あとは、離婚にまつわる話(汗)

実は、この女性の担当者は昨年に夫が離婚を言い出した時に、お世話になった。

当時、私は私個人の名義の口座を持っていなかった(夫との共同口座のみ)。フランスで口座を開くためには、通常、身分証明、住所を証明できるもの(家の権利書のようなもの、もしくは賃貸契約書、電気料金等の請求書など)が必要となる。

しかし、私は・・・

賃貸契約書には夫の名前しかなく、電気料金の請求書には私の名前も入っているものの、請求書は電子版。ログインパスワード等は夫が管理しており、私は蚊帳の外に置かれていた。

日本では、賃貸契約書に夫の名前だけでも大丈夫だし、それで妻が困ることはほとんどないのでは、と思う(もう、違うのかな)。しかし、フランスでは夫婦2人の名前で契約するのが常識のようだ。今住むところに引っ越してきた際に滞在許可証の住所変更を申請して、賃貸契約に私の名前がない、と知った担当者が「はぁ???」と、?マークでいっぱいの表情をして、訝しげに私たちを見たあの顔が忘れられない。

夫に、賃貸契約の変更はできないと言われ、家主さんにも迷惑だろうと思い、仕方ないのでそのままにした。

しかし、なぜここまで私を蚊帳の外に追い出すのだろうかと思っていたが、こういうことだったのだ。ここで、私は何も好きなようにできない、そういうことだったのだ。

しかし、だからと言ってこのまま銀行口座さえもないなど、不安すぎる。

共同口座を持っている銀行なら、何とかしてもらえるかも、と思い、すぐに連絡をした。

状況を説明したところ、「よかったら、銀行に来てください」と言われ、その翌日くらいに予約を取ったうえで言ったところ、個室に通された。

そして、私の(やや特異な)状況を理解してくれ、夫には私が口座を持ったことが分からないような形で口座開設を手伝ってくれた。

去年はすごく動揺して気持ちが高ぶっている中、離婚の状況を説明したところ、ものすごく親身になってくれ、「銀行員ではなく、個人として言うけれど、何とか収入を得て、経済的に自立した方がいい。そうすれば離婚もしやすくなるし、結婚を続けるとしても、貴女自身にとって良いと思う」と言われた。

とにかく口座開設を夫にばれないように、という私の気持ちもしっかり受け止め、郵便物は一切送付しない等の便宜を図ってくれた上で、夫には私が口座を開設したことは絶対に分からないですから安心してくださいね。と言ってくれた。

とても親切で、親身に、銀行関係とは全く関係のない話も丁寧に聞いてくれ、それに対して真摯にアドバイスをくれた彼女のことは、私もよく覚えていた。

その彼女と、今年また会うことになり、そして話をしてきたのだ。今回の話については、明日記したいと思います。

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jeudi 20 octobre 2016

ガッカリそして嬉しいことも! 別居のための住まい探しen France

一日の終わり、のんびりできる時間にその日一日のことをなんとなく振り返りながら、このブログを書くのが習慣になっている。

昨日の夜、前回の記事を書き終えてから、目星をつけていた公営住宅にまだ空きがあるかどうか・・・恐る恐る調べてみたところ・・・

ない

ない!!

何度見ても、ない!!!

誰かに取られてしまったのだ。

もう、深夜になろうとしている時間帯だったが、ショックで「そろそろ寝よう」という気持ちもどこかに飛んで行ってしまった。

昨日書いた通り、公営住宅申し込みの前にはまず「登録番号」が必要になる。その番号の申請は、昨夜から換算すると2日前の10月16日(日曜日)の夜に、オンラインで手続した。が、この申請の書類の審査、そして登録番号が出るのは30日後頃と書いてある。

こんな勢いで空きがうまってしまうなんてというショックから気が動転して、公営住宅を運営している住宅公社にメールすることにした。

別居・離婚予定であることを記し、そしてまだ登録番号も出ていない状況だが、目星をつけていたアパルトマンの空きがなくなってしまったこと。そこは娘の通う中学に近く、最適だったためぜひ住みたいと思っていたこと、転校はなるべくさせたくないことなどを書き、そして「もし空きがすぐ出るようなら、押さえておいていただくことはできないか」と、ずうずうしくもお願い半分の内容で「送信~!!!」したのだ。

それが、10月18日の深夜、というより本日10月19日の深夜0時10分くらい。

本日の朝10時頃に、メールをチェックしてみたところ、返事が来ていた。その内容は、今は私が希望しているところはすべて入居者がおり、空く予定も今のところない。そのため、今すぐに抑えることはできないが、状況が変わり次第お知らせします」とのことだった。

がっかり・・・

しかし!そのメールとは別にもう一通のメールが届いていた。

なんと!「登録番号」が出ましたとのこと。登録番号証明もしっかり添付されていた(もちろんすぐにプリントアウト)。

通常30日前後かかるところ、番号を早急に出してというつもりは毛頭なかったが、泣きついたところ、申請から2日間とちょっとで登録番号を出していただいた形だ。

フランスは、このように相談すると結構何とかしていただけることが多い。それを悪用してはならないし、そうであればフランス人だってそのくらいは見抜くであろう。

ただ、本当に困っているという状況を心で感じてもらえた際には、特にフランス女性は親身になってくれ、そして一肌脱いでくれる雰囲気があるのだ。これまでに幾度となくそういう人と出会ってきた。

これから娘と一緒に、恐る恐るであるが前進していく状況で、こういう人たちがいると思うと心強いし、良くしていただけた際には、本当にありがたいと感激する。助けていただくと、それを無駄にしてはいけない、頑張って絶対によくするぞ!と、改めて思える。

また、今日は娘と結構長く離婚のこと、そして娘から父親に対する気持ちについて話をして、たくさんの気持ちを聞くことができた。

今日は、片付けもしなかったしそういう面での前進はなかったが、総合するとすごく実りの多い一日だった。明日は朝から銀行に行き、担当者の女性にいろいろ聞いてくるつもり&弁護士にも連絡をしてみようか。。。金曜日位にしようか・・・と、やや迷っている(離婚を迷っているのではないです。長くなりますので後日書きます)。

明日もまた少しずつでも進むぞ!

(「クリックをいただけたら、モラハラ脱出のパワーに変えます・・・と書いた時、たくさんの方がクリックをしてくださいました。おそらくすれ違ったこともない私のために、クリックしてくださったお気持ちに、ただただ、感謝しております。本当にありがとうございました。いろいろな所で、色々な人から心を分けてもらい、助けていただけ、強い気持ちで毎日過ごせております。重ねてとなりますが、本当にありがとうございました)

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mardi 18 octobre 2016

別居→引っ越し・フランスの事情(2016年10月現在)

ちょっと前まで、離婚後の生活に関して不安の方が大きかった。

どこに住むのだろう・・・。日本の公営住宅とは違い、住人の質が悪かったり、ひいては治安面で問題があったりすることが多い、フランスの公営住宅。大丈夫なのだろうか、とか

もちろん、これからどうやって収入を得ていこうか、とか。

細かいところを考えていくと、それこそもうキリがなく、今だって疑問や不安だらけになる。

それなのに。

とりあえず、夫とは早く別居をしたい気持ちでいっぱいになっている。

夫は、今賃貸契約を結んでいるここの家には11月中旬まで、それ以降は新しい職場のある所に引っ越すという。今の住まいの賃貸契約は、退去通知期間の関係から12月末日までとなる。しかし、この家の賃貸契約は夫の名義。退去通知を出すのも夫なので、退去の予定日を勝手に決められ、12月末日よりも早められるかもしれない恐れはある。

しかし、まだ婚姻関係にあるため、夫には私と娘の住まい、そして生活費を保障する義務がある。そのまま現在の居住先に住めるような手続きもできるにはできるが、私の場合は家賃が高すぎて、無理→引っ越しを余儀なくされる形だ。

幸いなことに、引っ越しして出ていくのは夫である。昨年に夫に離婚を言い渡された際に相談に応じてくれた弁護士から言われたことだが、もし夫が私たちを路頭に迷う形にして出て行った場合には、法により裁きが下されるし、そうすることができないようになっているとのことだ。

とにかく、12月末まであと2か月ちょっとある。すでに公営住宅に申し込む前段階の申し込みはした。さすが、書類社会のフランスなだけあり、納税証明過去2年分、滞在許可証、Livret de Famille (1家族に一冊あり、家族のメンバーが記される。これにより、親子関係が証明できる)コピーなど、添付書類も盛りだくさんだった。

行政からの補助等についての手続きを案内し、手助けをしてくれる「アシスタント・ソシアル」には、「これらに加えて『離婚証明』もしくは『別居手続きをしていること』の証明書を提出する必要がある」と言われていたのでそのつもりだったのだが・・・

私はオンラインで申請したのだが、その時「添付書類のカテゴリー」に、これがなかったを幸いに、とりあえずこの書類は無しでの形とした。弁護士に離婚手続きをお願いした場合、すぐに一筆書いてくれるそうなので、万一提出が必要なら、すぐに対処できるであろう。

この申請、審査完了までに通常1か月くらいかかるそう。万一1か月かかったとしても、11月中旬には審査が完了しているはず。そして審査が完了すればなんだか受付番号?のようなものをもらえ、その番号を以て、公営住宅や民間アパートへの申し込みや、引っ越しにまつわる行政サービスへの申請等の手続きを進めることができる。

早く、番号が出れば・・・と思う。

それさえ出れば、私は母子家庭・無職・さらに実家など転がり込める場所もなく、緊急度が高いため、公営住宅ならば優先して入居ができるだろうと言われている。

できたら、比較的広く綺麗な公営住宅があり、そして治安も悪くない、今住んでいる町にとどまりたい。

しかし、狙っていた公営住宅、先日までは2物件、空きがあったが、今は1軒になってしまっている。

どうか・・・上手に引っ越し、そして別居ができますように!

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昨日は、たくさんのクリックをありがとうございました。すごく、心強くなれます。これからも引き続き頑張ります!!
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lundi 17 octobre 2016

モラルハラスメントだったかも

夫との婚姻関係は、13年にもなる。

最初、彼が日本にやってきて私の家に転がり込んできた頃はよかったが、その後妊娠、出産、フランスに引越して、フランス国内でもさらに引越しをして・・・と状況が変わるたびに、夫から私への暴言が頻繁になり、態度もそれは酷いものとなっていった。

ただ、それは徐々にであったので、毒も少しずつ飲めば体に耐性ができるように、暴言のレベル1をクリアしては後日レベル2に、といった雰囲気で少しずつレベルアップ(とほほ)してきたので、実感は湧かなかった。

数年前には「もしかしてモラハラか?」と思ったこともあったのに、ここ数年はそんな言葉もすっかり忘れて生活してきた。しかし、改めて振り返ると、夫からはモラハラを受けていた可能性がある。

常に、夫が怒りだすかもと先回りして考え、それを回避するべくふるまう生活。

体調が悪くなっても、夫が怒ると思うと、我慢して普通にふるまう生活。

暴言を吐かれても、その後優しい言葉で懐柔され、謝罪をされることなく普通に続行される生活。

夫が呼び寄せて、こんなところ(フランス)に来る結果となった。当然、頼れる実家などすぐ近くにない。それに、夫は2~3年単位ですぐに「転職」と言い出す。彼の「転職」は引っ越しが前提だ。しかも、住まいはもちろんパリではなく日本人や日本語の需要が少ない街だった。そのため、私はこれまで根を下ろしてなにかすることもできなかった。引越になる可能性はいつでもあったので、職業訓練を受けることだってできなかった。

今考えると、それでも職業訓練くらいはやっておけばよかったと思うが、見えない呪縛があるというか、「こうすると、関係がギスギスするかも」等、前もって考えて弱気になり、行動にうつせなくなってしまっていた。

そのため、専業主婦・出ていくところもない外国人女性 という弱者的立場が完成してしまった。夫はそんな私に対し、気に入らないことがあれば

「俺が気に入らないなら出ていけ! 玄関のドアは開いているぞ!」

など、「出ていけ」の類のことは何度言ってきたか分からない。あまりに言われすぎていて、養っていただいている専業主婦の分際で口答えしたのだから、そう言われても普通なのかと思っていたが、この頃、色々読んでいたらそんなことは決して「普通」ではないことに気付いた。

そして、夫は「離婚」も簡単に口にする。その際には「俺は引っ越す。このメゾンは2か月で契約終了になるから、お前は娘を連れて日本に帰れ」

「どちらにせよ、お前の滞在許可証の期限が切れれば帰国しかないんだからな」

夫が私をフランスに呼び寄せておいて、まるで私がフランスに寄生するために意気揚々と移民してきたような言い方もあった。

ハッキリ言おう。

私にとっては、貴方の国(おフランス)なんかより、日本の方が比較にならないくらい住みやすくてよい国だよ!!!!

今は夫が不在なので、冷静にこう考えたりすることができるが、夫がいると、なにか術中にはまったような状態になる。

先日の話しあいだってそうだ。「これから、どうするのか。 無職で、どうやって生活していこうっていうんだ・・・」そればかり、何度も聞かれた。

こうすることで相手が私に不安感を植え付けていることは重々承知していたのに、それでも改めて不安になった。また、離婚裁判の際、相手がそこを突いて娘の養育権を主張しないだろうか、など、新たな不安も生まれた。

その上で、ねじ伏せるのだ「これからは収入もよくなるし、俺と一緒ならば人生バラ色」だと。

夫の気分も上がっており、問題がなく生活ができるのは、最初の数か月だけ。その後はまた「出ていけ」「離婚」と言い渡されることに無意識におびえた生活を過ごしつつ、そのうちに本当に言われてどうしよう、と、うろたえることになるだけ。

モラルハラスメントの加害者は、なんでも「被害者に、不安感そして自分は無価値であるという気持ちを巧みに植え付け、術中にはめる」ため、「コンタクトを避ける」ことが推奨されているが、現在の状況では、夫が帰宅次第コンタクトを避けること自体が難しい。

帰宅は今週末。そして11月中旬まで今の勤務先で働くため、約一か月同居になってしまう。

それに、私の離婚意思が変わらない(相手の思い通りにならない)ことを本当に理解した日には、後悔しても知らないからな・どうせ収入を得る道など見つかりっこない・今まで食べさせてやっていた等、暴言を吐いてくるのであろう。

モラハラから脱出・独立して幸せになった女性の体験談などを読んでみた。皆、一様にすがすがしい気持ちで生活していることがうかがえた。お金はあるに越したことはないが、比較的経済的に恵まれていなさそうでも、前向きな気持ちで生活していることが伝わってきた。

これから、どうなるの?と思うと、それはもちろん不安だ。

でも、脱出時なんだろうな。

先行き不透明なうえ、相手から容赦なく攻撃される可能性もある。今が一番の頑張り時だろう。

いきなり、「夫はモラルハラスメント加害者だったかも」と書いてしまったが、具体的な話がなにもないままこう書くのは、乱暴だったかもしれない。機会があれば、夫から言われたことや経験したことをダイジェストで、「過去の暗い話」としてつづっていこうと思います。

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dimanche 16 octobre 2016

甘い言葉を吐く夫・抗う私 2

前回からの続きです)

お腹がすいていなかったが、私も昼食を・・・と思っていたら、午後13時になろうとしているところだった。

実家の母から、日本時間で20時(フランス時間で13時)に電話をするように頼まれていたので、どちらにしても食欲がないしと思い、先に電話をすることにした。

電話をしていたら、夫が先に食事をしている音がした。普段ならこういう時、夫は怒りをためる。そのため、電話を切ってからも、「キレるかも」と思い、中々部屋から出ることができなかったら、「昼のご飯は食べないのか、温めなおそうか」と、呼びに来た。

自分で温めるから、と言い、温めてサッサと食べ終えた。

そして部屋に戻ってしばらくしたら、また夫が来た。

「もうじき、(今勤めている)職場に、退職届を提出しに行く。話しあいすることはあるか」と、訊いてきた。

話しあいと言うか・・・

先ほどだって、夫はほぼ「お前は100%ついてくるよな」的な態度、私は「いえ、付いていきません」と言っているだけで、全く話がかみ合っていないと思えた。これ以上何を話し合うのだ・・・と思いながら

「いや、別に話し合うことはないよ。新しい職場で頑張ってください」と言ったら

「本当に来ないのか、それで、今後の生活はどうするんだ」と訊かれた。何度も言うが、先日は「お前のその後など知ったことではない」と言い放ったのだから、もう放っておいてほしい。

「なんとでもします」

「なんとでもって、どうするんだ」

「漠然と考えていることがある。それを、プロに相談しようと思っている。そこで、その案について伸ばせるようならそうなるようにアドバイスをもらうし、ダメなら収入を得るべく、まずは自分ができることからやっていくしかない」

「心配だよ」

「心配は要りません」

「一緒に暮らした方がいいよ、そうしよう」

「それには及びません。責任感から貴方を縛り付けるつもりはないし、私もそうされることは希望しません」

「子供はどうするんだ」

「頑張って育てますから。大丈夫です」

とにかく、今回は強硬な私だが、身分は無職である私に「今後」への不安感を再認識させつつ、自分についてくればいい生活ができると甘い言葉を言ってくる。あまりにそれが続いたので、とうとう何かが弾けた。

「それは・・・確かに今こんな状態だけど・・・こうなったのは、フランスなんかに来たから。日本にいた時は仕事もしていて安定した収入があったし、マンションだって借りていた。娘との生活も順調だった。けど、貴方についてフランスに来たことにより、人生が狂った。だけど、それを後悔はしない。そんなことをするよりも、何とか前に進みたい」と、思わず涙を流しながら言った。

夫は、自分が私と娘をフランスに呼び寄せておいて、それを忘れたか「移民は出てけ」的な発言を、婉曲にしていたことがあった。私がフランスなんぞに来たくなかったことは綺麗さっぱり忘れていたらしい。

頭を抱え「俺が・・・わるかったのか・・・」と言っているので、「そうだよ」と言ってやりたい気がしたが「もうこうなってしまったものは仕方がない。これから良くしていくしかない」と言った。

すると夫が「引っ越せば、お金も今よりあるし良くなる」など、また根拠のないことを言うので

「ここに来た時だって、貴方はそう言った。だけど、実際にはここに来てからの4年間で、私の立場は悪くなるばかりだった・・・。 ここに来てから、何度家族で外出した? 3回くらいだよね。それでも、外出したいとか言わずに我慢した。服だってもう何年も着たきりだったけれど、何も言わずに耐えた。娘だって、貴方がゲームの邪魔になるとうるさがるから、私が一緒に遊んだりと相手をして、貴方は自由にゲームをしていた。私がやれることはすべてやって、それでもあなたは不満だと言った」

と、返事した。「心に溜めておかずに言えばいいのに」と思う方がいるかもしれないが、以前は言っていた。それが、ここに来てから何か言うと怒鳴られ、無視され、何か月もの冷戦状態になり・・・となるので、どんどん何も言えなくなっていったのだ。

夫は「俺のせいだ・・・ゲームのやりすぎで・・・」

と言っていたが、ゲームのやりすぎではない、思いやりや相手に対する敬意がまったくないということだ。

だって、何か気に入らなければ「出てけ」「お前とは離婚する。2か月後くらいにこの家も引き払うからそのつもりで」の通達なのだから。私にはすぐに帰れる実家も近くにないことを知りながら。。。

「ゲームをやる時間を短くする」とか言っていたが

「それ、以前にも言っていたね」と言うと、

「これからは、ゲームをやる時間も短くするし、もっと家族での時間を大切にする。だから(一緒に来てくれ)」と言われた。

少し考えたが

「今、この瞬間、貴方は誠意をもって心からそう思って言っているのは分かった。だけど、長期間ではどうかしら」と言うと

黙ってしまった。

この機会だから、ついでに嫌われて「離婚」と思ってくれればいいと思い「ついでに、貴方のお母さんのこと、無理だからね。わざわざ私のいる家に来て、私の悪口を陰で言うような人、ありえないから」と言っておいた。

夫は「もし、この家は11月中旬で引き払うと言ったら、どうするつもりだ」と言うので黙っていたら(ここの退去通知は2か月前までに行わなければならず、また夫は私と娘を家無しにすることは法律で許されない。だから年内はとりあえずそれは無理だと分かっていたが、いちいち知識を披露するとうるさいことになるので黙っていた)

「まあ、あと数か月はあるし・・・ゆっくり考えた方がいい」

と言い、

私の右手にできた、おそらくストレスが原因による湿疹のような赤いあざを見ながら「ストレスになりすぎているから、もう少しゆったりとリラックスして考えたらいい」と言い、退職届を提出するべく、職場へと出発していった。

その後、夫は娘と一緒に帰宅した。

後から娘に聞いた話によると、夫は「俺は11月中旬に引越する」と言っていたらしい。「俺たち」ではなく「俺」という一人称だったようで、娘は「ああそう」と言っておいたようだ。娘は夫についていく気はサラサラないので、さばさばしたものだった。

(注)いつもは一度は読み返してから投稿するのですが、こちらは読み返すと色々な意味で気分が下がってしまいますので(そんな話を読んでくださってありがとうございます)、今回はそのまま投稿してしまいます。読みづらい点等ございましたら、ご容赦くださいませ。

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jeudi 13 octobre 2016

甘い言葉を吐く夫、抗う私 1

昨日の昼頃、夫がいったん帰宅した。午後話し合って、で、翌日(本日10月14日金曜日のこと)の早朝に、両親の家に向けて発つとのこと。

もう、話し合いはいいなあと思っていた。どちらにしても相手次第。

相手が離婚希望ならば、再度私にそれを通告するだけ。

離婚希望でなくなった場合、基本的には通告(私は黙ってついてくると思っている。過去のいきさつからもそれは仕方ない)。万一私が嫌だといった場合のみ、話し合いになるのだろうと、そういう自分勝手な話し合いになるだろうと思っていた。

私は「離婚の意思は覆らないだろう」と思っていたが、実家の母は「離婚したくないと言ってくるだろうね」と予想しており、まさにそれが当たっていた。

先週から、姉の家に言っていたが、その間にある企業に面接に行ったことは知っていた。

珍しく、夫の方から私のいるところに来た。最初は飼っているモルモットを抱っこしたりと、会話はなかった。が、耐えきれなくなって私から「就職は決まったのか」と質問した。

採用されたらしい。

それで

「一緒にこいよ」と。

少し、考えたけれど、「Non」と、答えた。

理由を問う夫に、「貴方が言い渡してきたように、離婚が私たちにとっては一番いいと思う」。

「なんで、(これから住む街は)いいところだよ」と言うので、街がどうこうではなくて、私たちの在り方が問題だと伝えた。

「収入も増えるし、もっといい生活になる」とか言うが、それは、ここに来る時にも聞いたセリフである。確かにここに来てから収入が良くなったので、広い家に住めた。が、私と夫との関係では夫ばかりが力をつけ、夫婦としてバランスが取れない状況に陥ってきた。

それでも、私は我慢した。だけど、先日、夫は「自分は不幸だ」と言っていたではないか。だから、もうこれ以上は努力できないし、したいという気持ちもないと伝えた。

「じゃ、これからどうするんだ(収入は?)」というので、何とかするからと答えた。あまり詳細は言いたくない。だって、先日は「お前の今後など俺には全く関係ない」と言ったのだから。

愛してるとか言ってきたが、そう言っていたって何かあったら即離婚を言い渡すよね・・・と返事した。今後だって絶対に口論はするだろうし、そうなったらその翌日には離婚を言い渡すよね?そういうジェットコースターみたいな生活は無理。

それに・・・離婚を(夫から)言い渡してきたのは今回が初めてではないし。

「娘とモルモットもいるじゃないか(だから家族そろっていた方がいい)」と言うが、そんな時だけ娘やモルモットをダシにするなんて卑怯だと思った。

口にはしなかったが、ここに引っ越してきてからの約4年間、娘とどれだけの交流をしてきたんだ、と思った。何かあっては「失せろ」とか怒鳴りつけるだけだったくせに。

「そうだけど、貴方はゲームばかりやっていたよね?家族で行動なんてこと、あったっけ?」と答えた。

沈黙

「あと」言おうか迷ったが、続けた「貴方のお母さん。いつも私のこと悪く言うようだけど・・・」と言ったら「何にも言っていない。今回だって、私の話はしてこなかった。今日の午後話し合うとは言っておいたけど」と言うが、嘘だ。姑は私の悪口を言うのだ~いすき、だから、こういう機会に便乗して弾けないわけがない。

ただ、今回のことではなく、私が言おうとしていたのは常の事。「今回はそうかもしれないけれど、貴方のお母さん、こんなひどい嫁を持っちゃって、可哀想に、って雰囲気のことを言ってくるよね」と言ったら「そんなことは言わない」とすぐに防御。

「いや、直接的には言わない。間接的に。あの嫁はできない嫁だ。だから、そんな嫁をもってしまってあなたの生活も惨め極まりない、可哀想に、といった趣旨のことを言ってあなたを洗脳する。そして、残念なことにあなたも基本それに同意だからね」と、言った。

・・・・・・

いつもとは違う雰囲気の私に「この10日間で、どうした。何があったんだ」と訊いてきた。

別に何も、と答えた。今日話し合いをすると言うから、離婚に向けて動くとかはしなかった。不要品処分だけを集中してやっていた。もちろん、誰かに相談してアドバイスをもらったとかはない(話を聞いてはもらったが、「こうしろ」というアドバイスはない)。自分一人で10日間、よく考えてこの結果になった。と、言った。

話にならないと思ったのか、夫は「そろそろ昼ごはんにする」と、その場を去った。

(続きます)

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mercredi 12 octobre 2016

パニック

こちら(フランス)は、10月12日の夜22時40分になるところ。

夫からSMSが入り、明日の午後一旦帰宅するとのこと。

それまで、すごく前向きに頑張ろう!という気持ちだったのに、憂鬱・・・

どんより・・・

詳しくはこちらの記事をお読みいただければと思いますが、離婚だと言い放った夫が、姉の家に旅立つ前に「いったん帰宅した時に、また話し合おう」となり。

その、「いったん帰宅」が、明日の午後とのことです。

もう、話し合うことはない・・・。だから、夫も「離婚」で考えが変わってければいいのですが。

ただ、数日前に実家の母にその話をしたところ「きっと、離婚じゃなくて続行って言うと思うよ」とのこと。その根拠は、姑(また後日書きますが、これがまた性悪中の性悪)が、きっと「離婚反対」だからだろうと。私や娘のこととかはさておき、「自分の息子が離婚をする」ことが、きっと受け入れられないだろうから、反対するだろうと。

それは、ありうる話です。

そして、夫は私がほぼ専業主婦の状態だし「自分が離婚をせず続行にしてあげれば、ホイホイついてくるだろう」と思っているだろうとのこと。

夫の方は、その通り。自分次第でどうにでもなると思っていると思う。

いやいや、ならないですよ。こちらにも以前書いたかもしれないけれど、あんな夫にノコノコ付いて引っ越ししたら、いつかアッサリ、そして今よりも更に悪い条件で離婚を言い渡されるだけ。

今回だって、言い渡された時には足元から地面がガラガラ崩れていくような気がした。そして真っ暗な気持ちになり、不安で不安でもがいて、なめられきっていることに悔しい思いもして。それで、やっと、離婚にした方がいいと、離婚して、前向きに進んでいくんだと決めた。

続行して、また安穏としていたらきっと↑をもう一度経験しなければいけなくなる。一度でなくて数回かもしれない。最終的には、離婚でアッサリと、ポイ捨ての運命です。

今回は、脅されようと何されようと、なんなら私から離婚にします。

夫は、これまで、私を脅したりすかしたりして操ってきた。とにかく自分の言いなりになると思っている。よく考えると、過去にもとことん逆らったことはない・・・。だから、どうなるのか不安で仕方ないけれど・・・頑張ります。

絶対に、あの人のいいようには流されません。一縷の望みですが、相手も離婚をそのまま希望していますように・・・

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フランス専業主婦の離婚、自活に向けて。

今、私はほぼ専業主婦の状態。

ほぼ、というのは日本の企業から依頼されて細々とやっている仕事があるからだ。しかし、これだけではとても生活費にはならない。

娘と2人となる場合には、やはりフランスで収入を得て自活をしていく必要がある。

まず考えたのは、もちろん「再就職」だが・・・

私の住む町は本当~に田舎で、フランス人さえもなかなか就職先が見つからない地域にある。ソーシャルアシスタントからも、就職カウンセラーからも、「ここでは中々難しい」と、言われた。

だからと言って、就職の当てもないのに引っ越しなどできない。そのため、なんとなく私が応募できそうな仕事の募集があれば、フランス全土どこでも応募しようという意気込みにならざるを得ないが、実は私は「パリ」には住みたくない。娘の安全のことを考えると、特に住みたくない。そのため、ますます応募できる先が狭められている。

先日、よさそうな募集が一件あったので応募してみた。応募してもなしのつぶてのことが多いと聞いていたし、その一件しか応募していない、しかもフランスでの職歴がない私がいきなりCDI(正社員)への募集に応募しているので、どうせ何も起こらないだろうと思っていた。

が、その求人案内を出している人材紹介の会社から「勤務地は現住所とかなり離れているが、大丈夫か」と、確認のメールが先週金曜日の夕方に来た。一応返事をしておいたが、その後はまたしてもなしのつぶて状態になっている。

就職については、実はあまり気乗りがしない。ほぼ確実に最初の数か月間は試用期間、しかも日本のように「ほぼ採用は決定だけれど、一応試用期間」ではなく、フランスでは試用期間はその名の通り。厳しく勤務状況やら仕事遂行能力を見られて、試用期間を以て終了になることもよくある話だ。引越までしておいて、試用期間で終了になったら、悲しすぎる。仕事や、周りとの相性もあるし、自分さえ終了にならないように頑張りさえすれば、という話でもない。

地元で就職先があれば、大引っ越しをせずに済むので一番安心なのだが・・・

あとは、個人事業主として起業をする方法もある。私の中で、やりたいなと思っていることがいろいろあるので、挑戦してみたいという気持ちが今は大きい。

最初の数か月間は夫もしくは国からの食費手当や母子家庭手当等で賄っていくしかないだろうが、そんな生活からは一日も早く脱出して・・・

いつか、家を購入できるべく(夢です!)・・・

今はリサーチ期間だけれど、頑張ろうっ!!!

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lundi 10 octobre 2016

話し合いをしていないけれど、結論は離婚かな。

以前の記事を読んでくださった方はご存知だと思うが、予定では夫は今週中に一旦帰宅し、午後少しこちらにいた後、両親の家に向かう予定になっている。

その時に、「これからどうするかについて、話し合おう。それまでゆっくり考えて」と言って、夫は先週の月曜日に姉の家に向かい、親と一緒に出発した。離婚は夫から言い出したことだが、出発する前には夫の気持ちはややぐらついている様子だった。

まだ夫が帰ってきていないので話し合いはしていない状況だけれど、私の中では早々に「離婚しかないだろう」と、結論が出ている。だから、このブログにも「住まい探し」だとか「裁判」について、色々考えたことを書いた。

夫の転職が決定した場合、ここから4~5時間離れている所に引越しとなる。そして、私はその辺りの土地は不案内だ。引越しについていって、口げんかをしただけで翌日には「離婚」を言い渡されて捨てられるのか、と思うと、引っ越しなどとんでもないと思う。

もし、決定していない場合は「決まるまで仕方ないから今の勤務先で続ける」とのことだが、夫は嫌になったらきっとサッと辞めるだろう。こんな形で後先考えずに辞めた場合には、実家に戻るつもりだろう。

そうでなくても、転職が決まった時点であっさりと「離婚ね」と、なるだろう。とにかく相手の気分次第で「離婚」になるのだから。そして、私はそれを承諾するしかないのだから。

夫が引っ越ししようがここに残ろうが、離婚しかないだろう。離婚を言い渡されて、すぐに私と娘の住まいが確保できれば良いが、その保証はないので、出ていく手続きを進め、住居が見つかり次第出ていくしかない。

今までは、離婚を言い渡した夫の気が変わり、その後撤回した場合も、なんとなくそれでヨシとしてそのまま続けてきた。ただ、今回は違う。何度も言うが、口げんかをしただけで翌日には離婚を言い渡されるということは、これからは私はもう何も言えない立場、ということだ。

これまでだって、本当はゲームばかりやってほしくなかったのに、許容した。食事だって、ゲームのライブ放送を視ながら食べてほしくないが、それでも良しとした。女性が混ざっている、同僚との夜のパーティー(土曜日の夜)だって、気持ちよく送り出した。

フランスに来てから、自分の立場の強さを実感し、さらに姑が「可哀想に」と、夫を「可哀想な人」になるよう洗脳してきたため、彼は「自分は可哀想だ、それはお前のせい。離婚したくないならこうしろ(離婚できないだろ?え?従え)」と、いうようになっていったのだ。

詳しくはいつか書こうと思うが、最初から、これからの人生ずっと一緒にいたい、と切望して結婚した人ではなかった。それでも、それなりに愛情はあった。

だけれど、今の夫は、私にとってただのモンスターとなってしまった。

もう、我慢の限界だし、これ以上は無理だ。

出かける前に、夫は「続けるなら、○○するように」と、やっぱり自分の希望を数点押し付けようとしていたが、今回はもういい。私が、続けることは希望しない。夫は両親や姉とも話し合っているだろうが、今回はあの人も「離婚」の結論で変わらないだろうか。万一変心している場合には面倒なことになるので、ぜひぜひ、そのまま離婚希望でありますように・・・

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しっかり者な娘&裁判について考えた

夫と離婚となった際に、一番気がかりなことは「監護権」の行方だ。

フランスは離婚後も「両親に親権がある」が基本であるが、それでも、子供の基本的なお世話をする「監護権」は、キッチリ半分と言うわけにもいかず、どちらかの親が監護権を持つことが多くなる。

そのため、Garde alternée と呼ばれる「面会権」のようなものがある。大概は「片親が面倒を見て、もう片親は2週に一度の週末、子供と一緒に過ごす面会権」となることが多い。

夫は「娘を連れて日本に帰れ」と言っているくらいで、信じられないことに娘に未練がないようだ。昨年の10月ごろも同じことを言ってきたが、その時にソーシャルアシスタント、法務事務官、弁護士(いずれもフランス女性)と話した際、このくだりにくるとみんな一様に「は?(言っている意味が分からない)」となり、「信じられない」に変わり、そして最後は顔を赤くして怒った。

夫はただただ、職も家庭も一新して、収入もすべて自分の物!とした上でやり直したい、というか、早く言えば独身に戻りたいようなので、子供なんてお荷物は要らないのであろう。

しかし、この夫が、今は「離婚をしたくない」という意見に変わってしまっていた場合は、娘の監護権を主張してごねるかもしれない。。。

ごねられたら、現在無職の私は不利になるかもしれない・・・

そんなことを考えていたら、娘が「裁判所で、私は自分の希望(意見)を言うことはできないのか」と、聞いてきた。

離婚裁判の場合には、法廷ではあまり発言の機会はないようだが、弁護士に言って、娘の希望を入れてもらうことは可能だろう、と返事をしつつ、色々調べてみた。意見にばらつきはあったものの、12歳を境に、監護権に関しては子供の意見が取り入れられるようになるとのことだった。

娘は先日12歳になったばかり。

つまり、娘が「母親と一緒に生活したい」と言えば、その希望が通る可能性がかなり高くなりそうなのだ。

ついでに、娘は過去に父親から受けた悪行をほかの人に言っていた時期がある。友人たちがほとんどなのだが、中には小学校の担任の女性教師、そして昨年度の数学の教師にも悪行を話したそうだ。これは、離婚話が勃発する1~2年前のことだから、「母親(私)が情報操作した」等の言いがかりもつけられない。その当時は、他人、しかも教師に言っていたことに愕然としたものだが、今となってはこれが吉と出そうである。

夫がしたことの確証こそ得られないものの、「それを以前、娘から聞いた」事実については、裁判で監護権について揉めた場合には、判事の心証を左右する材料としてくらいなら採用されるであろう。

夫が裁判で争うことにした場合には、きっと家族を味方にして、私が不完全な妻及び母親であると言いがかりをつけてくるであろう。私にはここで味方してくれる家族がいない分不利であるが、いずれにしても「物的証拠」がないことは、同じ。教師など第3者の証言は、身内の証言より強いであろう。あとは、友人にも頼めるかもしれない。

そして、一日も早く収入を得られるようにガツガツと仕事を探す、もしくは自活の手立てを建てていくことだ。

しかし、こちらから頼んでもいないのに「私が法廷で発言できないのか」と、娘が言ったことには本当に驚いた。12年前には生まれたばかりだったのになあと思うと、とても感慨深い。夫と結婚してよかったと思えることは殆どないが、この娘に会えたことは本当によかった。

しっかり者の娘に負けないよう、私もしっかりしていかねば。今週も頑張ろう!

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dimanche 9 octobre 2016

ひととき、のんびりと

いつもいつも、暗めの話ばかりです。

月曜日に夫と話し、そのまま夫がバカンス(?)に旅立ってから、なんだか不安がぬぐえず、基本的に暗~い気持ちで生活していました。

が、夜のひととき、そんなことはすべて忘れて、ほっこりしたひとときがありました。

それは、調理器具選び♪

以前、母が「この頃、電子レンジで野菜を調理しているの~」と、言っていたことがあります。私は「電子レンジでの調理」に偏見を持っており、その時は適当に話を合わせていました。 それが、帰省中のある日、お肉に付け合わせてあった温野菜がとてもおいしい! 「これで調理したよ!!」と、母がウキウキと見せてくれたのが「ルクエ(Lékué)」の調理器具だったのです

私にあげるため、もう一つ買っておいたと言って、グリーンのスチームケースなるものをくれました。

フランスに帰国してから、この、ルクエのスチームケースで毎日のように電子レンジで蒸しケーキを作り、すごくおいしく食べ、娘にも大好評!「これはいいっ!」と、ものすごく気に入っていました。

そうしていたら、先週、な・なんと(大げさな。。。)ルクエの商品券(?)を格安で入手することができたのです。フランスからは、ルクエ(スペイン)のHPから直接商品を購入できるのですが、そこで使用できる40ユーロの商品券が、15ユーロで購入できたのです!

お一人様4枚まで。

最初は4枚も要らないと思っていたのですが、ルクエのHPを見て、適当に欲しい物をリストアップしていくとあっという間に160ユーロ分くらいになっていたので、15x4で60ユーロにて4枚購入!

一回の注文で一枚しか使用できないので、送料が無料になるよう、50ユーロになる形で注文するのですが・・・

この、調理器具選びがとても楽しいです。

娘と2人の生活を描きながら選ぶので、なんとなく夢が広がります。

バラ色の生活が待っているわけではないことは、分かっているのですが・・・。それでも、アイスを作ろう!だとか、雪の形のクッキーをたくさん作ろう♪だとか・・・ きっと楽しく生活できる!してみせる!!と、思えるのです。

明るい色のものが多く、見ているだけでも気分が盛り上がります。

既に2度発注し、スペインから発送されていますので。月曜日か火曜日辺りには小包が到着しそうです。届いたら、こちらにアップします♪ 暗~い話ばかりですので、たまには明るく! とても楽しみです。

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jeudi 6 octobre 2016

フランスで専業主婦の離婚、住まいはどうするか

本来なら、専業主婦で離婚をする場合には

・まず、就職先を見つけてから、住まいを確保

もしくは

・とりあえず実家に避難

が、妥当だろう。

しかし、ここはフランス。長い長い不況で、高学歴なフランス人だって長きにわたり職がないこともあるほど、厳しい状況だ。そして、私の実家はこの国にはない。

もう、ないないづくしだ。

今回、夫は「就職が決まったら、その2か月後にはここを引き払う」と明言しているだけに、まずは住まいを確保することが先決になる。

一番最初に離婚を言い渡された日の午後、すぐに今住んでいる町の物件を探したところ、民間のアパルトマンでよさそうなものが2件あった。しかし・・・事情があるとはいえ、求職中、外国人そのうえ保証人もつけられない私には、相当運が良くなければ物件さえも見せてくれないであろう。

そこで思い出したのが、昨年も同じようなことがあった時に案内してもらった、「HLM」と呼ばれる、フランスの公営住宅だ。

中~低所得者層向けではあるが、住民の質など、はっきり言って良いイメージがない。

HLMの最悪のイメージとしては、パリ郊外(特に北西部)の、高層公共住宅地域。アラブやイスラムの移民系が多く入居、不良のような輩も多く、荒廃した雰囲気が漂う。パリのテロ事件があり、警察が突入したのは、まさにこのような公営住宅の一室だった。

夫も、以前から「HLMはちょっと」と、イメージだけで毛嫌いしていた。

しかし。今回私はそんなことを言っていられる状態なのか。こんなところに来るまでは自分がそのような身になるとは思いもしなかったが、「公営住宅か、路頭に迷うか」の選択ではないのか。

そんな選択肢なら、答えはもちろん一つ。

急いで、以前いただいた資料を見た。公営住宅と言っても、民間の会社が建設・運営して、政府から補助金が出ているような形のようで(日本でいう、特優賃物件と公営住宅の真ん中あたりの雰囲気か)、取り扱いの会社が9件ほど出ていた。

そのうちの一番大きな会社のホームページを見てみたら、空き物件の検索があった。今住んでいる町での物件を調べたら・・・

2件ほど、あった!

一つは、1LDK.。これでは、「私」「娘」の部屋が確保されない。もう一つは2LDK.これはいい!そして、掲載されていた外観写真はとても綺麗で、一般的にイメージされている四角い無機質な大きな建物の中に、部屋がぎっしり・・・な、フランス公共住宅(HLM)の雰囲気とは全く異なり、大きな一戸建てのようだ。公営住宅と、言われなければ分からない。

ためしに、ネットの「ストリートビュー」でその辺りの雰囲気を見てみたが、やっぱり雰囲気は悪くない。

もしまだ空いていれば、の話だが、「求職中・母子家庭・離婚で住居確保が難しい」身であるので、優先されるだろう。しかもこのアパルトマンは、娘が通っている中学からも近い。入居できる可能性はかなり高いのではないか。

住んでいる町は、田舎の小さな町。公共住宅の件数が少ないため入居は難しいかもと言われていたので、パッと見たら「空き」があったことには、何かの縁(?)を感じた。

こうして書いていたら、ボヤボヤしていないで早く申し込んだ方がよいと思えてきた。。。

夫が引っ越しするならば、私がついていく可能性はゼロ。引越ししない場合でも、「今の会社は辞める」のだから、就職先が見つかり次第、ここは引き払う。その時にアパルトマンの空きがなかったら、泣くのは私ではないのか。

夫は「10日後(来週の中旬くらいか)に、また話をしよう」と言ってきたが、もし彼の方で「やっぱり離婚♪」と思った場合は、話し合うよりも「やっぱ、離婚だから」と言い放つだけ。話し合うというのは、夫は続けたいけれど私は嫌だ、と言う場合に限るのではないか。

夫のことは、この際考えないようにしよう。

ただ、当座の生活費に関しては、もう少しはっきりしたことを知りたい。それが分かり、当面の生活がなんとかなりそうなら、すぐに申し込みをしよう。

そう思っている。

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mercredi 5 octobre 2016

沈んだ気持ちと、周りがくれた勇気

夫が去ってから。

なんだかしばらく呆然としてしまった。

いつもそうなのだが、夫と話すと、夫のペースに巻き込まれてしまう。この時だって、最初は「就職が決まったら、この家は年末までで引き上げるので、2か月間で片付け・ゴミ出しをしなければ。おまえも就職活動をどんどんするべき」と、離婚に向かって猪突猛進な雰囲気だったのに、それから約30分後には「(就職が決まったら)引っ越し先についてきてくれるか」なのだから。

こうして冷静になってみると、離婚についても続行についても、夫の発言は土台が極めて危ういことがよくわかるが、言われた私はすべて「本気の発言」と考えるので、その都度青くなったり対策を練ったり、エネルギーを吸い取られたようになってしまうのだ。

一人になってから、ものすごく疲労を感じ、何もできなくなってしまった。ただ、出した食器の片づけだけはしなければ。。。と思い、なんとかやり終えたが、その後どうしても食欲がなく、気づいたら午後の1時。

その時間には実家の母に電話を掛けるタイミングなので、とうとう昼食は取らずじまいだった。

あまり心配をかけても、と思うが、何も話さなければそれはそれで心配の種になる。あったことをかいつまんで話した。そして、引越し先にはついていきたくない気持ちであることも伝えた。

母は、まずは「夫についていかない」ことに安心していた。通常ならば、特に外国であれば「何とか離婚せずに済んだ場合には安心」になりそうなものだが、そうでないということは、母は、夫に対しての信頼は全くないのであろう。

今、私はフランスにて専業主婦というか無職の状態であることも、母は知っている。そして、日本人がパリ以外の地方で就職することは決して楽ではないことも。

それでも、「ついていかない方がいい」と言うのだ。「このまま続けたって、あなたにとっていいことは何もない。ただ、その日その日なんとなく暮らしていけるだけ。そのうちに離婚とか言われて、もっと行動を起こしにくい状況になっていたら、その時には離婚を決行されるだけ」だろう、と。

一方で「離婚したら、それはあなたが羽ばたけるチャンスのような気がしてならない」と、ものすごく明るく言っているのだ。

買いかぶりな部分もあるだろうが、慰めるためだとか発破をかけるため、ではなく、心底そう思っていることが伝わってきた。今後、自活していくためのおぼろげな計画は話してあったが、とにかく「離婚後に良い方向に行くような気がすごくする」のだそうだ。

全幅の信頼を寄せてくれているようで、なんだか感激してしまった。

電話を切ってから、ちょっと明るい気持ちになり、翌日(火曜日)にやろう!と思うことをなんとなく頭の中で整理した。その日のうちにやりたかったが、相談に行く先の都合で月曜日には予定がつかないのだから、仕方がない。

色々考えつつも、やっぱり不安が根底にあるので、何かというと暗くなってしまう。通常が陰気モードになっている雰囲気か。

そうこうしているうちに帰宅してきた娘に、「今から、すご~く否定的なことを言うから、言ったらげんこつで殴るふりをしながら、やれぃ!と喝を入れて」と、頼んだら快諾してくれた。

「ああ、私もうだめだよ!」

「何を言っているんだ!ぼかっ!!!」

「フランスで、自活できるわけない!」

「そんなこと言うなっ!ぼかっ!!!」

「無理、絶対に!」

「とにかく、やれいっ!ぼかっっっ!!!」

「ぼかっ」の部分ではもちろん私は殴られたことになるので、倒れこむふりまでする。そうして立ち上がってはまた否定的なことを言い、そして殴られる(フリ)なのだ。

と、傍から見ればただただ怪しい2人だったであろうが、なかなか言えない「不安な気持ち、自分を信じきれない気持ち」を口に出すことができて、スッキリした。

母から、娘から、パワーをもらった。不安はもちろん消えはしないが、明るい気持ちで踏み出そう、と、また思えた。

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バカンス出発前の会話 2

こちら からの続きです。

夫は、応募先の企業から面接の電話が入ったことにより、転職と引っ越しが現実味を帯びてきて、ついでに離婚もいよいよ現実に近づいたことを実感したようだ。

そのためか、「(私の)就職先も決まっていない状態では、安心して離婚できない、もう少し待とうか」と、提案してきたのか。

この場合、もしも引っ越しとなったら私も引っ越し先についていくという条件だろう。もちろん、決まらなければ、どこかに決まるまで今いるところで続行だから、そのまま同居状態となるのだが。

どちらにしても。

私は、それに対しては気持ちは固まっていた。

「ありがたいけれど、お情けで続行しても・・・」と言ったら、すぐに、「(私の言いたいこと)わかるから」と、返事をした。

常識的に考えれば、こんな外国で、定職もないまま母子家庭になるなど、正気の沙汰ではないだろう。だから私も、先週の木曜日に「もう少し考えたい」と夫から言われてから、万一「しばらく一緒にいようか」と、相手の気持ちがやや覆ったりした場合には、自分はどうしたいのかすごく考えた。

正直に言えば、不安だ。不安に押しつぶされそう。

だからと言って、夫とこのまま続けたって、私にとってはいいことはない。しばらくは平穏かもしれないが、「夫がまた仕事が嫌になり引っ越しになりそう」「夫とトラブルになるから」等の理由で積極的に定収入を得る道に進むことなく、毎日過ごし・・・。そのうちにまた夫の気分で離婚を申し渡されるだけだと直感が告げている。

それならば

今、大変になってしまっても、娘と一緒に頑張って、良い方向になるように毎日前向きに頑張っていく方がいいのではないか。

フランスに来てからは、「こんなところまで来たのだから、夫・私・娘の小さな家族を大切にしていこう」と決めていた。だから、離婚は避けるように努力をしてきたし、夫の暴言も許してきた。そして昨年、夫が離婚を何となく撤回した時もそのまま受け入れた。

渡仏後、今回初めて、夫が「(しばらく)続行してもいい」と言うのを断った。

一応断ったので、食器の整理の続きをしようとキッチンに向かっていたら、夫が

「(私を)失うのが、怖い。ただ、私とこのまま続けていくのも、怖い」と、言って、抱きしめてきた。私も「私も不安だけど、ただ、貴方と続けていくのももっと不安だよ・・・」と、返事をした。

夫は、「もし続けるとしても(いや、私は続けないと言っているんだけど)、このままの状態では嫌だ。普通のカップルのような生活でないとだめだ」と言う。夫は朝4時に起床して早朝から勤務先に向かう。私は深夜まで仕事をしているので、その時間に起きるのは無理。でもそれに合わせろ、と言う。

それなら、と思って言わせてもらったのは「だったら、一か月に一度くらいは家族もしくは夫婦で外出したい。休日や毎日午後、ヘッドフォンをつけてゲームばかりやっている姿はありえない」と、返事をした。

言いながら、できない癖に。私にばかり自分の希望を押し付けて、自分は自分のやりたいようにするくせに。と、思っていた。

そうこうしているうちに、夫の親の車がうちの前に停車するのが見えた。

夫は

「(引っ越し先に)ついてきてくれるか。(その土地は)嫌か」

と、いきなり聞いてきた。

一拍、考えた。

でもやはり

答えは、出ている。

引越し先には、ついていかない。

「土地が嫌とかではなくて、引っ越ししたらまた知らない場所で一からやり直し。そのうちにささいな口げんかをして、速攻で離婚を申し渡されるかもと思うと、怖くて行けない」

と、伝えた。

「離婚なんてことでも、貴方は申し渡すだけ。話しあいとかそういうのではなくって、貴方が申し渡したら、私は承諾するしかない感じだもんね」と、ついでに補足しておいた。

言っているうちに、フランスで家族をしっかり築ければと思い、日本での仕事、家族、友人、大好きな人たちと離れ離れになってこんなところに来た挙句(フランスに来たいきさつについては、後日記します)こんなみじめな状況かいと思ったら悔しくて涙が出た。

前回も記したけれど、夫の休みは3週間。最初の10日間姉の家に行き、残りは両親の家に行く。フランスを縦断する形で、うちは夫の両親と姉の家の中間地点にあるので、姉の家に行く往復は、親と一緒に。 姉の家での滞在が終わったらまずは家に帰ってきて、その後親はそのまま帰宅、夫は自分の車で親の家に向かうという計画だ。

一旦帰ってくる日の午後、夫はここにいるそうだ(自分の物を、親の家で保管してもらうため、荷造りをするらしい)。

その時に、話し合おう、と、言ってきた。

「あまり働きすぎず、ゆっくり考えなよ。自分もゆっくり考える。それで、10日後の午後また話し合おう」と。

さっきまでは「就職活動をドンドン進めた方がいい」とか言っていたのに、この人の気持ちは山の天気よりも変わりやすい。

「Je t'aime (愛している)」といって、キスをしてきた。そして「話し合おうな」と。

そして、待っている親の車に乗り込み、そして出発していった。

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mardi 4 octobre 2016

バカンス出発前の会話 1

フランスでは基本的に7~8月の間に夏季休暇を取得する決まりになっているが、夫はその間に休暇が取れず、10月に取得することになっていた。

この件についても、ずっと不平不満の嵐。

夫のバカンス=親と過ごす 「だけ」 そして親は定年退職をしており、年金暮らし&時間がありあまった生活をしているようなので、別にいつだっていいではないか。逆に、ものすごく暑い中、高速道路をとばしてそこに向かうよりも、暑くも寒くもない10月なら道中も快適ではないのか。

取れないわけではないのだし、7~8月でなくたっていいではないかと思うし、そう言ってきたが、もちろん聞く耳は持たない。この件に関しても、夫は自分自身を「可哀想」と思っている。

そんなわけで、夫は昨日10月3日(月)から、3週間ほどバカンス。

通常は自分の車で、朝早いうちに親の家に向かうが、今回は親と一緒にまずは姉の家に向かうという。私たちの住むところは、大まかに言うとフランスを縦断する形で親の家と姉の家の中間地点にあるので、姉の家への往復については、親と一緒に行動するそうだ。

そのため、今回は朝10時頃の出発と言う。

8時ごろ、娘を学校に送り出してから、なぜかいきなり片づけにとりかかっていた。それがひと段落したようなので、私も以前から気になっていたところを片付けることにした。

使っていなかった食器類。使っていなかったのだから、通常は捨てるが、夫の物や、普通に使えるお皿などは、仕分けして私&娘そして夫用と仕分けすることにした。もちろん、今後も絶対に使わないだろうと思われるものについては処分することにした。

それをしながら、先日(前回記事をお読みください)、夫が「もう少し考えたい」と言っていたので、出発前に今の気持ちを確認しておきたいと思い、訊いてみた。返事は

「(離婚の意思は)変わらない」とのことだった。

理由は「今日は、私と良い時間を過ごしていると感じるけれど、このまま続けたら、やっぱり数か月後にはまた雰囲気が悪くなり、繰り返す」から、だそうだ。

今後の予定は「仕事が決まったら、当初の予定通り10月末に退職願を提出、来年1月1日からは新しい職場の近くに引越して働く」とのこと。仕事が決まっていなかったらどうするのか?と聞くと、それは考えてもいなかったようで「そしたら、今勤めているところに(決まるまでは)いる」とのこと。

私に対しても「仕事の募集があったら、どんどん応募しとけば」と言っている。(←先日は「どうせお前はフランスでは(パリに行かない限り)就職できない」とか言い放ったくせに)

今、応募できそうなものは一件しかないこと。採用されればそこに引越するが、無理だったならば今いる町にとどまり、就職は探しながら、フリーランスもしくは起業してやっていけるようにしようと思っている、と、伝えた。

それでも最初は「(自分の休暇中も)どんどん進めておいたほうがいい」と言っていたが、そのうちに、電話が鳴った。



どうでもいいけれど、この人からの電話は、いつも、ピンポイントで「なんで今」と思う時にかかってくる。理由は後日書くが、姑は大変意地悪な人だ。電話をかけるタイミングまで自然に意地悪になるようにできているらしい。

その電話の後、もう一本電話が入っていた。

切ってから「ちょっと前に履歴書を送っておいたところから、連絡があった。姉の家の近くのところなので、(バカンスに)行っている間に、面接兼話を聞きに行ってくる」とのこと。

じゃあ、頑張ってね。と言っていたら、

自分のCDを片付けているフリ?をしながら、こちらに目も向けず「・・・(私の)仕事が決まっていれば、安心して離婚もできるけど・・・仕事が見つかるまで、(自分が)待とうか。もし、姉の家の近くで就職が決まったら、一緒に引越して、(私の)就職が決定次第(離婚する)にしようか」

と、絞り出すような声で言っていた。

(この後も長くなってしまいそうなので、一旦切ります)

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lundi 3 octobre 2016

幻のようなひととき

話しあい(質問タイム?)にて、確たる理由もなくほぼ一方的に離婚を通達され、それを承諾したのが9月26日(水曜日)。

翌日の木曜日。

夫は早朝~昼頃まで仕事のことが多いけれど、この日は昼にも帰宅しなかった。うちはTVは夫が本拠地としている居間にあるものだけが「テレビ」として機能している。そのため、ラッキーとばかりに、テレビ前に陣取り、ニュースを見ながら昼ご飯にしていたら。。。

帰ってきてしまった(ああ・・・)

いきなりそそくさと片づけたり、逃げたりするのも変なので、そのまま居続けたところ、上機嫌とは言えないものの、話しかけてきた。

先週、実は夫は雇用主に向けて、公式に「手紙」を発送した。雇用主がある義務を果たしていないからなのだが、その手紙はもう届いたのかと訊いてみると、「受け取って、かなり嫌な雰囲気になっている」との返事だった。

「義務が果たせないのは、雇用主の責ではないという言い分だったけれど、関係ない。10月末まで待って(って、10月から3週間、夫は休暇なんですが)、何もなかったら次回は「警告」そして、退職届を出す予定だ」とのこと。

退職届を提出するのなら、そんな嫌がらせのようなことをしなくてもいいのに・・・と思うのだが、私が何を言っても無駄だし、聞く耳も持たないであろうとおもったので、それは流しているうちに、昼食が終わったので席を立った。

その後、書籍の整理をしたいと思っていたのだが、夫がいるとやりにくい。しかし、午後3時くらいには寝てしまっていたので、そ~~~~~っと、整理を決行することに。

なるべく音を立てないようにやっていたのだが、どうしても最小限の音は出てしまう。そのうちに、夫が起き上がる音がした。それでも、その時点でやめて逃げるのも変なので続行していたら、いつの間にか近くに寄ってきていた。

しばらくそこにいた後、「何をしている」と訊くので、本の整理と答えると、またそのままそこにいる。

以前いた街で、夫と娘と一緒に行った美術館でいただいた絵葉書などが出てきたりしていたら、「思い出がたくさんだね」と言ってきた。そうだね、と言っていたら、タイミングが悪いことに結婚前に夫から買ってもらった本が出てきた。

夫もそれに気づいたようで、なんだか緊迫した空気になっていたので「これ、以前あなたに買ってもらったね。もちろん捨てないよ(その本は自分で選んだ、良い本なので♪)と言ったら、「そうか。ありがとう」と言い、いきなり顔を触ってきた。

別にキスだとかそういうことではないので、そのまま整理を続けていたら、去って行ってくれた。そのうちに整理もひと段落したので、手を洗い、夫のいるところを通り抜けようとしたら、ここに来てと言う。

離婚話かと思い、座ったら、いきなり抱きしめられ、キスをされた。

「いけないね」と言われたので、「うん、ダメだね」と言い、別にそれ以上に発展することはなかった。

その後、日本で購入した体重計を試したりしているうちに、娘が帰宅。娘が「仲直りしたの?」と訊くほど、雰囲気が変わっていたようだ。

その日の夜、ものすごく苦しそうな顔で「もう少し考えたい。後悔することになりたくない」と言ってきた。ただ、私もこの形での離婚の場合、まずは自分の住居を確保しなければならない。はいは~い、待ってま~す♪と応じた挙句、ポイ捨てでは困る。そのため、「住めるところを探そうと思っていたけれど、もう少し保留にしようか・・・」と、訊いてみると、「そんな(住むところもないような形にはしないから)」とつぶやいていた。

が、

先日はその勢いだったではないか。

ハッキリ言って、夫の言うことは当てにならない。私は前を向いて進んでいく必要があるけれど、後々ややこしいことになることだけは避けたい。

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dimanche 2 octobre 2016

話しあい 3

話しあい2 からの続きです。

私はどちらかというと気が短い方であることはよく分かっているので、特にここ数年はケンカになるたびに自分自身のしてきたことを反省し、できるところは、と、改善してきたつもりだ。 そのために、ずいぶん我慢もしてきた。

それなのに、そういう努力はすべて水の泡。というか、未だに相手は「自分は不幸である」と言っている。

しかし、娘が少なくとも中学を卒業するまで、できたら高校・大学など一通りの過程を修了するまで、なんとか平穏にこのままいかないか・・・と思った。

「去年も言ったと思うけれど、A(娘)の日本語能力は、現在なしに等しい。そのため、日本の公立中学に編入させようとしても、受け入れしてくれる学校はかなり少ないと思われる。日本にあるフランスの学校、もしくはインターナショナルスクールに入れるとなると、学費がかなりかかるので、どうやっても私一人の収入では難しいと思われる。 だから、フランスで続行するしかない」

「私は、フランスに憧れて来たとか、フランスに住めて幸せ~♪とかではなく、上記の理由からフランスにとどまらざるをえない。だから、娘が学業を修了しだい、日本に帰るのはやぶさかではない」

「そのため、このままなんとか娘の学業修了までこの生活をキープできないか、、、とも思うけれど、貴方は仕事を辞めたいのだから、無理だよね?」と訊いてみた。

答えはあっさり

「無理だね」

それを聞いた時、ああ、もう、これは何を言ってもダメなんだと悟った。今までは「思った」だったけれど、この時は「悟った」 

仕事を辞めたいがメインであるが、たまたま口げんかをしたとは言えど、私生活も混同してすべてやめてリセットしたい。。。

私の悪口ばかり言って、息子は溺愛してただただ甘やかしている姑・・・

その状況の中、自分は可哀想だ、こんなに頑張っているのにと信じつつ、私と娘に対しては、ただの口げんかでも「あっさり捨ててやる」と言える夫の鬼畜さ・・・

仕事を辞めたいんだもん、むりだよねっ!と、何かが弾けて明るくそう悟ったことを覚えている。

だから

「じゃ、分かった。仕方ないね。離婚の方は、なるべく円滑にまとまるようにしたいね」と返事をしたら、夫がいきなり立ち上がった。私はちょうど夫の書棚の前に立っていたので、何か書棚からとるのかと思ってどいたら、いきなり私を抱きしめ

「まだ、(私への)思いが残っているから・・・残念だ・・・」

と、言っていた。

意味が分からない。離婚をしたいのは夫なのに。そんな疑問だらけだったけれど「仕方ないんでしょ?」と、言っておいた。それから「もともとの原因はくだらない口げんかから発展して、(しかも「離婚」と言い渡されるほどの「なにか」を言ったりやったりがなかったのに)こうなってしまったことは、私も残念に思うよ」と、言って・・・

これ以上話し合うことはないのだろう、と思い、洗濯した衣類を干し始めた。

夫は

中断していたゲームを続行するため、ヘッドフォンをして、そして「pause」になっていたゲームを再開させていた。
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